Unsolved Crime a Japanese NPA Chief was Shot
写真:事件現場となったアクロシティ マンション群
公訴時効:2010年3月30日 火曜日 午前0時 成立
発生日時:1995年3月30日 木曜日 午前8時31分頃
発生場所:東京都荒川区南千住 アクロシティ Eポート通用口付近
被害者:國松孝次(くにまつたかじ)氏 57歳 男性 第16代警察庁長官
被害:背部及び腹部等への銃創
容疑者:不明(実行役の犯人像は年齢30〜40歳前後 身長170〜180cm位)
凶器:6条左回り腔線の.38口径(又は.357マグナム型)回転式拳銃
弾薬:ナイクラッド・ホローポイント弾
写真:国家公安委員会 警察庁
死者13人に負傷者5,800人以上という、甚大な被害をもたらした『地下鉄サリン事件』から僅か10日後、まだ冷たい雨の残る朝だった。日本の警察組織のトップである國松長官は、出勤のために秘書官が差し出す傘に入り、自宅のあるアクロシティ・マンション群Eポートの通用口から出て公用車に向かう所を、後方から何者かによる銃撃に遭い、その場に倒れた。
写真:Eポート 向かって左が正面玄関 右が通用口
背部や腹部等への銃創から瀕死の重傷を負った國松長官は、直ちに同都内の文京区千駄木にある日本医科大学付属病院に救急搬送され、高度救命救急センターで輸血量が10リットルにも及ぶ緊急手術を受ける事で、奇跡的に一命を取り留めることができた。
写真:救急搬送先の日本医科大学付属病院
次の図は、事件発生当日の17時過ぎに開かれた緊急記者会見で、同センターの執刀医が國松長官の容体説明のために黒板に描いた銃創箇所を、忠実に再現したものだ。これを一見しただけでも、そこに高い医療技術と強い生命力があったのだと伝わってくる。
画像:記者会見で執刀医が説明した黒板の図(再現)
公安部長を長とする『警察庁長官狙撃事件・特別捜査本部』を設置したのは、現場から直線距離で約500m南に位置する警視庁南千住警察署。
写真:特別捜査本部が置かれた警視庁南千住警察署
現場の捜査から判明した犯行状況は、犯人はEポートに隣接するFポートの南東角から拳銃を4度発砲し、内3発を國松長官に被弾させた後、すぐ側に停めていた黒っぽい自転車に乗り、アクロシティの敷地外へと逃走。
写真:犯人が自転車に乗り逃走した敷地内の通路
その犯人像は複数の目撃情報から、年齢が30歳〜40歳前後で、身長が170cm〜180cm位、黒っぽい帽子に白色のマスクと、黒っぽいコートを着用していたとみられている。
写真:目撃情報から再現した犯人の服装
現場と被害者の身体に残った弾丸を警視庁科学捜査研究所で鑑定、その結果から、弾丸は合成樹脂でコーティングされた『Nyclad(ナイクラッド)』と称するもので、中でも先端を平らにカットしてやや窪みを持たせたホローポイント系である事が判明した。
写真:フェデラル社製のナイクラッド弾薬(ダミー)
また同鑑定から拳銃は、銃身に6条左回りの腔線(ライフル)を有する.38口径又は.357マグナム型の回転式拳銃であるとみられ、適合するモデルに米国のコルト社製などが考えられたが、凶器となった銃は現在まで見つかっていない。
写真:適合するコルト社製のパイソン(モデルガン)
事件発生直後の現場において捜査員が発見したバッジは、ロシア等では可能だが日本国内での入手は難しい、北朝鮮の『朝鮮人民軍記章』である事、また同じく発見したコインは、日本人旅行者が持ち帰り、日本国内にも相当数在ると考えられる、韓国の『10ウォン硬貨』である事が判明した。
写真:現場遺留品のバッジと硬貨(同一品)
事件発生から1時間が経過した午前9時50分頃、報道機関に「オウムに対する捜査を止めろって事、そうしないと國松たかつぐ、それに続いて井上と大森は怪我しますからね」と、男性の声で犯行を臭わすような電話があり、警視庁は悪戯の可能性もあるが、警視総監や内閣情報調査室長とみられる名前を挙げている事から、犯人又はその周辺の人物である疑いもあるとみて調査を進めた。
写真:1995年に発売されたビジネスフォン
翌1996年10月、警視庁の現職警察官でありオウム真理教の在家信者である、31歳(事件当時30歳)の男性巡査長K氏が、警視庁の取り調べに対し「教団幹部に指示されて自分が撃った」と供述していた事が、報道機関へ届けられた告発文書から明らかになった。しかしK氏の供述は、その実名も挙げ内容は具体的であるものの、曖昧な点も多く、変遷を繰り返すなど全体的な信用性には欠け、事件後に「銃を投げ捨てた」と言うJR水道橋駅近くの神田川を2カ月近く捜索するも、銃が見つかることはなかった。
写真:拳銃の捜索が行われたJR水道橋駅近くの神田川
事件から9年余りが過ぎた2004年7月、警視庁は、元巡査長のK氏とオウム真理教の元幹部ら3人を、警察庁長官狙撃事件の殺人未遂容疑などで逮捕した。これを機に、長く続く捜査が決着するかに思われたが、実行犯の特定に足る証拠は揃わず、翌々の9月、4人を嫌疑不十分で不起訴とした。
写真:東京都 警視庁本部
2010年3月30日午前0時、公訴時効が成立し、延べ約48万2千人が従事した捜査は未解決のまま終結した。警視庁公安部は、同日に開いた記者会見と公表した捜査結果概要の中で「本事件は、教祖たる○○の意思の下、教団信者のグループにより敢行された計画的、組織的なテロであったと認めた」と締め括ったが、この異例の発表に、確固たる証拠も無く名指しする事は、無罪推定の基本原則にも反すると、メディアや識者から批判が集中。教団の後継団体が起こした裁判において名誉毀損などで賠償命令を受ける、敗北宣言となった。
写真:警視庁が公表した捜査結果概要資料
この事件には、警視庁の上層部によって黙殺された、もう1人の重要な容疑者がいた…。その追求記事は、新たな企画にて公開予定です。
※この記事は、2010年3月30日に警視庁が公表した捜査結果概要と、筆者がこれまでに確認した報道を基に、証拠品や画像を再現作成して書いているため、不備不足や事実とは異なる場合があります。
【関連書籍】
講談社『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』原雄一氏著書(Amazon 商品ページ)